築城基地
 
 築城基地は飛行場が行橋市・築上町 (2006年1月10日 築城町・椎田町の2町で合併設立)に、またパトリオット基地(第2高射軍第7高射隊)が旧豊津町(2006年3月20日に勝山・犀川の2町と合併しみやこ町に)にまたがってあります。

 地元の住民組織は仲津校区基地対策協議会(行橋市)・旧築城町基地対策委員会・八津田地区基地対策委員会(旧椎田町)があります。

 航空自衛隊築城基地は、最初1942年(昭和17年)海軍航空隊として開隊され、その後1946年、米軍の不時着飛行場として指定され米軍先発隊(50名)が配備、1950年(昭和25年)米軍戦闘部隊が進駐、朝鮮戦争の時は板付飛行場の補助飛行場として使用されました。その後1955年(昭和30年)に米空軍から返還され自衛隊基地として今に至っています。1986年(昭和61年)には地位協定第2条4項bに基づく日米共同使用基地に決定されました。

 築城基地に米軍が進駐していた間は、米兵むけの飲食店や「女性」関係の店などができ、殺人・傷害・婦女暴行などの事件が起こり、基地周辺は風紀が乱れ様々な被害を受けていました。その当時を知る人たちは、「あのような事になったら大変だ」と口々に言い「米軍が来ることだけは絶対反対」と言っているのです。
 
 
 10月29日の「米軍再編」の中間報告により、築城基地は「米軍移転」による米軍の飛行訓練がおこなわれ、「緊急時」に米軍が使用することが発表されました。その具体的な内容は明らかにされませんでした。

 その後3月21日、福岡防衛施設局が行橋市と築上町に、日米両政府が協議している内容の説明・報告にきました。その内容の主なものは以下のとおりです。

1、 訓練移転について

 当面、嘉手納・三沢・岩国の3米軍飛行場からの訓練移転先の一つとされ、基地使用は、1998年日米合同委員会合意(日米共同訓練は年最大4回、1回につき2週間以内、計56日間内)による、年間56日以内、1回あたり2週間以内。年間の訓練回数の制限は撤廃するとしています。

 また、2006年度の移転訓練は必要に応じて計画を作成するが、2007年度からは毎年計画を作成する。施設整備は、実施について必要に応じて計画する。

2、 緊急時使用について

 緊急時とは、主に日本に対する武力攻撃事態や武力攻撃予測事態及び周辺事態を想定する。

 緊急時において、米軍機が一定期間基地を使用することがあり得るが、常駐することは意図されていない。緊急時への対応が終わったら、できるだけ速やかに、使用を終了する。

 緊急時の使用に備えた訓練は、日米合同委員会で合意された共同使用に関する条件の下で実施され、年間の総使用日数、及び訓練1回当たりの使用期間は制限の範囲内で実施される。

 この内容によれば、「当面」嘉手納など3飛行場からの訓練移転としていますが、嘉手納ではアメリカ本国や世界各地の米軍戦闘機=嘉手納の所属部隊以外の戦闘機による飛行が、早朝・夜間にまたコースをはずれての爆音で、住民に被害を与えていると聞いています。築城基地でも同様なことになりかねません。

 また岩国は、住民投票で「反対」の意思を表明していますが、艦載機の訓練が強行されるかもしれませんし、佐世保基地は第2空母準母港化へと増強されています。岩国での艦載機訓練が、施設不足などによっては築城基地が使用されるのではないかとの懸念をもっています。タッチアンドゴーの訓練は、基地周辺に爆音を長時間響かせることになります。

 築城基地ではじっさいは、今年1回の日米共同訓練が実施されています。その他航空総隊や西部航空方面隊の演習、通常の訓練で、土曜日・日曜日、祭日と正月・盆休みを除き毎日、飛行訓練が行われています。週2日は、夜間訓練も実施されています。

 築城基地は「移転区域」であっても、基地にすぐ隣接して住民が生活しています。「これ以上の騒音・基地被害は絶対容認できない」これは当然の住民の声です。また今、自衛隊は葬儀や学校行事などの時、事前に伝えておけば、その時間は飛行を避けてくれることになっています。「米軍は住民の生活などへの配慮はまったくなくなる」という住民の心配もあります。

 緊急時の米軍使用は、イラクなどへの出撃基地になるということです。朝鮮戦争の時、米軍が築城基地からも出撃していきました。「戦争に使われたくない」のが住民の基本的な思いです。

 11月、仲津校区基地対策協議会は市当局から中間報告の説明を聞き、「絶対反対」で意思統一し、子ども会育成会やPTA、婦人会など校区の各種団体の会議を開きました。そこで、「米軍築城基地移転絶対反対 仲津校区民総決起大会」の開催を決め、12月4日、みぞれまじりの寒い中を1000人の参加で成功させています。この大会で採択された決議は、「我々仲津校区民は地域住民の意向を無視した中間報告にたいして断固反対する。@戦争につながる戦闘機の配備はいらない。A騒音の増大と米兵の犯罪はいらない。B我々は静かな生活・平和な生活を望む。C米軍の配備には断固反対する。」というものです。私たちは、この集会の成功を願い協力し、参加しました。

 その後、旧築城町の男女共同参画連絡協議会で署名運動が行われましたが、旧椎田町や豊津町では、「反対」の意思はあってもなかなか行動まではできていません。

 自治体の動きは、当初椎田町が最初に「反対」を表明しました。行橋市・豊津町は、当初中間報告では具体的な内容が不明として態度を保留していましたが、住民の声や私達の運動などによって、「反対」を表明するようになりました。築城町は態度を明らかにしないままでいましたが、11月22日、1市4町(椎田・築城・豊津・犀川の旧町)で福岡県に申し入れの際は、同一歩調をとりました。

 議会は、2市8町ある京築地区で、12月議会では2市7町で、反対の意見書あるいは決議が圧倒的多数で可決(残りの1町は3月議会で可決)されています。

 その後、3月の福岡防衛施設局からの説明の際は、行橋市長は「地元に対して、これ以上の苦しみを強いるのは容認できない」と反対を表明、築上町長(2月の合併選挙により旧椎田町長が当選)は「協定内なら反対できない」と腰砕けの態度になりました。

 しかし議会サイドは、行橋市・築上町で、防衛施設局の説明を受け、12月に続き3月議会に再び反対の決議を可決成立させています。築上町の住民への説明会では、町長に対し「『絶対反対』の立場を示してもらわないとやりにくい」など、批判の声があがっています。

 しかし、3月29日、行橋市・築上町・みやこ町の首長は反対で足並みをそろえる事で一致、30日には行橋市長が防衛庁長官と防衛施設庁長官に反対の意見書を提出しました。その理由は、住民も議会も反対だからとしています。

行 橋市議会と築上町議会は、自治体と住民と議会で共同の組織・運動をしようと呼びかけています。また行橋・築上・みやこの3議会は、基地対策委員会委員長・副委員長会議を開き大同団結の方向にむかって今進み始めました。

 私たちは中間報告が発表されてすぐに、「反対の表明を行うことを求める申し入れ」を関係市町におこなうなど、行動にたちあがりました。その後日本共産党は、赤嶺・仁比両国会議員や県会議員などが市町や住民組織と懇談を行ったり、京築安保破棄実行委員会との交流などを行いました。

 1月21日には日本共産党沖縄県議・小泉親司党基地対策委員会事務局長を招いて、学習交流会を開き200名の参加で成功させました。これには行橋市議長と仲津校区基地対策協議会会長も参加し、来賓挨拶をしてもらいました。この取り組みに、これまでつながりのなかった団体に参加の申し入れに行きましたが、どこでも温かく歓迎されました。

 その後、地区レベルでの集会の開催や「3・26福岡県民大集会」に参加し訴えをおこないました。福岡県平和委員会が県内の市町村議会に請願提出をするなど、各団体での取り組みもみられます。

 しかし、最終報告にむけ大詰めを迎えた今、さらに運動を広げるために、次の点が課題であると考えています。

@ 私はこれまで行橋市長に、関係自治体の議会・住民を含めた連絡会をつくるように提起してきましたが、承諾をとれません。住民サイドから、大同団結の場をつくっていく事が必要です。

A 民主団体をふくめ、基地から遠ざかるほど関心が薄くなる状態です。全県の参加ができる取り組みにすること。

 住民の皆さんは「米軍だけは来てほしくない」で一致しています。この原点を大事にし、運動を進めていきたいと思います。